最新調査で明らかになった新事実

ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクト

「ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクト」は、ナショナルジオグラフィック協会の支援により2003年から2008年の5年間に渡って段階的に行われた発掘調査です。
イギリス・シェフィールド大学のマイク・パーカー・ピアソン教授を始めとする6人の専門家が指揮する合同チームによって手がけられ、範囲はストーンヘンジ一帯のアヴェニュー、エイヴォン川、ダーリントンウォールズ、カーサス、ウッドヘンジ、墳墓、近隣の立石にいたる大がかりなプロジェクトでした。

このプロジェクトにより、新たな事実が数多く発見されています。
最大の収穫はストーンヘンジから約3キロメートル北東に位置するダーリトンウォールズ(直径450メートルの巨大ヘンジ)で、‘06年9月に見つかった新石器時代の集落跡です(イギリスでは最大の住居跡の発掘で、約30棟の住居を識別)。
そこにはストーンヘンジの建造に携わった人たちが住んでいたとみられ、夏至や冬至など“祝祭”の時に集まる儀式の場としても使われていた可能性が指摘されています。
また、木の柱だけで構成されていることから名付けられたウッドヘンジ(1925年に発見)も北東に隣接していますが、ここでストーンヘンジと同じ石柱に建て替えられていた穴が発見され、さらにその石柱がストーンヘンジに組み込まれた可能性が明らかになっています。

ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクト
‘08年4月の発掘調査では、ストーンヘンジの石の周囲に残っている支柱用とみられる穴の一つを分析した結果、それまでは紀元前2500~2000年とされていたストーンヘンジの建立時期は紀元前3000年前後だったということが分かりました。
そして最も興味深いのは、ストーンヘンジから1.6キロメートルほど南東のエイヴォン川西岸で見つかったミニストーンヘンジ(‘09年10月)。
直径10メートルの小さなサークルですが、25個と推定される列石はすべてブルーストーンから成ります。
そうして名付けられたのは“ブルーストーンヘンジ(またはブルーヘンジ)”です。
発掘を担当したのはシェフィード大学のピアソン教授のチームでした。ピアソン教授によれば、ブルーストーンは数千年前には取り除かれ、エイヴォン川からストーンヘンジにいたるアヴェニューを示す立石にされたと見られています。

新説!! ストーンヘンジ=治療センター説

1964年以来となる大規模な発掘調査が2週間に渡って行われた結果(‘08年4月)、発掘に加わった科学者たちは、ストーンヘンジのブルーストーンがヒーリングの石としてあがめられていた可能性を示しました。
そして同様に、イギリス・ボーンマス大学の考古学者たちもまた、ストーンヘンジの遺跡が、石にヒーリング効果があると信じた人々が訪れる巡礼の地であったという説を公表しています。
このニュースは‘08年9月22日、BBC(イギリス国営放送)から世界中に配信されました。
主な根拠として挙げられたのは、ストーンヘンジ周辺に埋葬された遺体の多くに外傷や奇形の兆候が見られたことです。

なぜこの場所でなければいけなかったのか? 学者や専門家たちはその問いに対する答えは持ち合わせていませんでしたが、一つの仮説が浮き上がってきます。
科学の範疇にとどまるならば、この答えが導き出されることはないでしょう。
太古の昔、人々にとって石は神とスピリットを宿す神聖で神秘的な存在でした。
固定観念を捨て、ブルーストーンがヒーリングに用いられていたと認めることができれば、その土地自体にヒーリング効果を高める力が秘められたパワースポットだったからこそ、遙か彼方にあるウェストウェールズのプレセリ山地から石を運び、ストーンヘンジを作ったのだと考えるのは容易なことです。
ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクトにおいて、ミニストーンヘンジとも言われるブルーストーンヘンジ(ブルーヘンジ)が発見されたのは、その裏付けとも言えるでしょう。

ストーンヘンジ一帯が連動的に機能

ストーンヘンジ一帯が連動的に機能
ストーンヘンジの周辺には多くの墳墓があり、住居跡も見つかっています。
1950年代に見つかった3人の火葬された遺骨に対して放射性炭素年代測定を行ったところ、それらの遺骨は500年間の長い年代に渡っていることが判明し、祖先崇拝を行う古代ブリトン人にとってストーンヘンジは死者を祭る場所であり、埋葬地の役割を持っていたという結論が導き出されました。

最も古い遺骨は火葬された骨と歯で、56個の竪穴(オーブリーホール)の一つから発掘されています。
ストーンヘンジを囲む壕から見つかった2番目に古い遺骨は紀元前2930~2870年頃に埋葬された成人の骨、壕の北側から出土した3番目の遺骨(紀元前2570~2340年頃)は、20代の女性のものだと特定されました。

ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクトのリーダーであるピアソン教授(シェフィールド大学)は、こんな仮説を立てています。
ウッドヘンジ(ダーリントンウォールズ)にもストーンヘンジのアベニューと似た道があり、死者が出ると、そこからつながるエイヴォン川に遺体が流され、下流で引き上げられてアベニューからストーンヘンジに運ばれて火葬されていたというのです。
生の領域であるウッドヘンジと、死の領域であるストーンヘンジは、エイヴォン川で結ばれていたという発想です。
ストーンヘンジを形作る石は肉体が死を迎えた後に残る白い骨の硬さ、死者をしのぶ永遠の想いを、ウッドヘンジの木は時が来れば朽ちていくはかない生を象徴し、同時に石は祖先と男性、木は女性と赤ん坊を示していると言います。
ちょうど、日本神話(古事記または日本書紀)に登場する女神、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と石長比売(いわながひめ)を思い起こさせる話です。
高天原から降臨した神であるニニギの御子に嫁いだ地上の女神、木花咲耶姫と石長比売の姉妹でしたが、容姿の醜い石長比売は送り返されてしまいます。
しかし、二人の娘を嫁がせた父の大山津見神(オオヤマツミ)には意図がありました。
石長比売は夫ニニギに岩のような永遠の命をもたらし、木花咲耶姫は木の花が咲くように繁栄をもたらすという理由があったのです。
結果的にニニギは神でありながら限りある命を持つ存在となり、その子孫とされる天皇も寿命を持つ人間に・・・と、神話では伝えられています。

ここで注目すべきは、生と死がともにあるように、ストーンヘンジとウッドヘンジ、あるいはその他周辺の遺跡が、一体的に機能していたと考えられる点です。
生と死の世界を結ぶ行列に想いをはせれば、エイヴォン川からストーンヘンジにつながるアベニューは賽の河原とイメージが重なります。
アベニューの道に高低差があることを理由に、冬至の日の入りに合わせてサルセンサークルに向かって歩けば、日没を2度見ることができると言います。

それが事実だとして、日没を2度見ることが情緒を感じる以外に意味があることなのかどうかは分かりませんが、死者を送る行列、日本の野辺送りを思わせる、そうした光景が自然に浮かんできます。
ピアソン教授の埋葬地説は現代人にとって受け入れやすく説得力のある解釈と言えますが、ストーンヘンジが他にも複合的な役割を担っていた可能性は十分にあります。
治療を求める巡礼者の集う場所であり、心ならずもその願いが叶わなかった時には終焉の地となり、残された者たちが祈りを捧げる神殿ともなる、まさに聖地だったのかもしれません。

【参考書籍】
『ストーンヘンジの謎は解かれた/G・S・ホーキンズ』(新潮社)
『ストーンヘンジ 巨石文明の謎を解く』(創元社)
『ナショナルジオグラフィック日本版 2008年6月号』(日経ナショナルジオグラフィック社)

【参考URL】
『シェフィールド大学:ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクト』
http://www.shef.ac.uk/archaeology/research/stonehenge
『ナショナルジオグラフィック』
http://www.nationalgeographic.co.jp/